実例 日本国内のケース 2 | |
宮崎勤 | 1988年 連続幼女殺害事件 女児4人を誘拐・殺害 宮崎被告・付近の住民の証言<宮崎勤事件 一橋文哉著 より抜粋> ・飼い犬の首を針金でしめあげた ・鳥をつかまえてきて羽を毟り半生に焼いて飼い犬に食べさせようとした ・スズメを石で落とし食べようとした ・妹の髪をひっぱり殴りつづけた ・猫を冷蔵庫の後ろへ追い込んで煮え湯をかけ、冷蔵庫を押して圧死させた 母親の供述より ・「勤は部屋に入ると怒るので、彼が廊下にフトンやシーツを出した時、洗濯するようにするなど、まるで腫れ物に触るようでした。勤はすぐカッとなる短気な性格で私を拳で殴ったり、気に入らないと窓ガラスを割ったり、イヌやネコを虐待したこともありました。」 <読売新聞 2002年8月22日> ・元捜査幹部は言う。「つかみ所はなかったが、受け答えは普通だった。ビデオの影響も大きいが、彼の動物虐待も気にかかった。あれこそが前兆行動だ」 <読売新聞 1989年 8月14日 東京 朝刊> [幼女殺人 狂気の正体]生き物への残虐性 「死」への悼み欠如 ◆トンボ数十匹、羽ひきむしる ネコひき殺し、平然とドブへ◆ 幼稚園時代からポツンと一人でいることの多かった自宅裏の秋川河原。五日市小の高学年の秋のある日、宮崎勤は、そこで奇妙な遊びにふけっていた。 河原に座り込んで、捕ってきたトンボの羽を一枚一枚ひきちぎる。それも一匹、二匹ではなく何十匹も。 「何をしているのかと思って近づいて、ビックリしました。周りにトンボのすき通った羽が、花びらをまいたように散らばっていた。怖くなって、飛んで逃げ帰りました」 宮崎の“孤独な遊び”を目撃した近所の遊び友達は「トンボだけでなく、よく虫などを殺して遊んでいたので近寄り難い存在でした」と話した。 宮崎には、突然、激高する一面もあった。やはり小学校高学年のころ。珍しく自宅に友人が来て、妹と遊んでいるうちに兄弟げんかとなった。かっとした宮崎は「(何かは思い出せないが)当たると死んでしまうようなもの」(友人)を投げてあばれた。友人はびっくりしてあわてて両親を呼んで来たという。 冷血ともいえる生き物へのむごい仕打ちは思春期を過ぎても変わらなかった。 明大中野高校時代の休み時間。教室に入ってきた虫を、クラスの一人がふざけて宮崎の方に足で押しやり「お前踏んでみろ」と言った。何のちゅうちょもなく靴で踏みつぶし、その瞬間にニヤッと笑ったという。「薄気味悪く怖いやつだと思った」。同級生の記憶に残る宮崎の姿は暗い。 「日常の中の残忍さ」は最近も顔をのぞかせた。逮捕の二週間前ごろ、車を運転して出た宮崎は、近くで猫をひき殺した。あわてるでもなく車を降り、平然と道端のドブに捨てていった。目撃した近所の主婦は、かわいそうで改めて畑のあぜに埋葬したという。 子供のころ、トンボやセミの羽をむしって遊んだ経験は、多かれ少なかれだれにもある。だが、何十匹ということになると−−。 子供たちの世界に詳しい日本青少年研究所の千石保所長は「その背後には死に対する想像力の欠如がある」と指摘する。 同所長によると、直接体験できない「死」について、それがどういうものであるかを想像し、「生」と対比させることは、乳幼児期の両親の愛情に基づくしつけなどの教育ではぐくまれていく。しかし、この面の教育が不十分だと、想像力を欠いたまま成長することになりかねない。 殺した野本綾子ちゃん(当時五歳)を自宅に持ち帰り、首や手足などをノコギリで切り刻んだ宮崎。彼にとって「死」とは、ビデオの世界の中の出来事と同じことだったのだろうか。 |